アメリカ2年目の冬が始まった頃の話。ビッグバンを再現する加速器実験に参加していた私は、加速器で加速された重イオンが衝突したタイミングや位置を計測する検出器を1人で担当していた。2年目にしてはかなりハードな役割であった。
巨大な加速器が2週間前から動き始め、加速器グループの人たちから「今晩にも最初の衝突が起こる」と、シフトクルーに連絡が入った。実験は24時間体制で、8時間×3シフトが組まれていた。半年近くの実験期間がいよいよ始まろうとしているときだった。前日からいよいよイオンの衝突が始まろうとしており、私は徹夜の2日目だった。なんせ、私の検出器が重イオンの衝突のタイミングを決定しなければ、他の全ての検出器のタイミング調整ができないので、真っ先にチューニングを終えないといけない。一人でこれを行うのは初めてだったが、それなりに予習もしたし、なんとかこなせると思っていた。
加速器制御室から、私たちの居る実験計測室に入電。次の加速後に衝突を試みるとのこと。シフトリーダーが私に測定器のチューニングをするように指示を出した。しばらくして加速器は順調に2方向にイオンを加速し始め、僅かな時間ではあったが衝突が起こった。私の作ったオンラインモニターが、衝突が起こったことを知らせた。早速タイミングあわせのためのデータを解析しはじめたが、グラフを見て頭が真っ白になった。これまでに見たことがない、全く理解できないパターンを示していた。「Yuji, タイミングはどうだ?」とシフトリーダーに聞かれたが、「わからない」としか答えられなかった。
まだまだ実験も序盤で、色々な問題も並行して発生していたため、それぞれがまた忙しく動き回った。私はひとりで頭を抱えていた。そんな中、ひとり、暇そうなおじいちゃんが居た。どこかの大御所先生なのだろうが、彼のシフトは2時間に1回、100個ほどのガス圧や流量計をチェックするだけの役目で、その時間以外は比較的暇だったのだ。彼は私に「何か問題でも?」と聞いてくれた。私の見ていたグラフは少し専門的なので、かみ砕いておじいちゃんに説明して、こんなグラフが出るわけが無いんだという事を説明した。おじいちゃん先生は、ふむふむと聞きながら、時折「なぜ、そうなるの?」と聞いてきた。当時の私は「仕方ないな、おじいちゃんにも分かる様に説明するとね…」とは言わなかったけども、そのぐらいの生意気な態度でかみ砕いて説明していた様に思う。
しばらく、その「なぜ?」が続いたあと、私は、とても不確定か仮定の下に一人相撲をしていることにやっと気付いた。データを取った数分間の間にも、加速器側のパラメータが大きく変動していて、様々な状態が連続して発生していた。それらが重なったまま1つのグラフに表示させたため、見たことのない構造が見えていたのだ。
何の事はない。まだ加速器の方が安定運転に入ってないのだ。原子核の衝突タイミングが安定してからでなければ、検出器のタイミングを合わせられる訳がない。
多分、私の話の細部までは、先生には伝わってなかっただろう。私の理解もまだ不十分だったし、見せていたグラフも、全く説明不足のものだったからだ。しかし、こうした実験の始まりには、加速器も不安定だというのは、その先生の長い経験からは明らかだっただろう。それを、私の拙い英語を延々と聞いてくれた上で、そこに誘導してくれたのだ。「馬鹿、お前の主張は理解できんが、ともあれ、そんなの加速器が安定してからやれば良いんだ」と言う方が簡単だっただろう。しかし、先生は私の話を辛抱強く笑顔で聞いてくれ、的確な「なぜ?」で、結論に誘導してくれたのだった。
私は先生にお礼を言い、シフトリーダーに「加速器が安定したら呼んでくれ」と言って、宿舎に戻った。
それから15年、勉強会のブレインストーミングをやったとき、まず「どんな意見も否定しない」というルールを聞いたとき、あのおじいちゃん先生の顔が浮かんだ。趣旨は少し違うけれども、相手の話をうまく聞くだけで、相手の意見を熟成させたり、時に間違いに気付かせることができる。もしかしたら、その上で、私の話を楽しんでくれていたのかもしれない。そんな気がした。