映画『惑星ラブソング』は、広島を拠点とするスタッフ・キャストが中心となって制作された作品です。物語の軸は「原子爆弾が一人の市民の人生をいかに狂わせたか」に据えられていますが、決して悲劇的な映像で恐怖をあおるような演出はされておらず、安心して観ることができます。
私は昭和生まれなので、子供の頃はまだ身近に被爆者の方々がいらっしゃいました。親戚や近所の方に、原爆の話を聞く機会もありましたが、今ではもうほとんどの方が亡くなられてしまいました。思い返すと、もっと色んな話を聞いておけばよかったなと思います。でも同時に、この映画に出てくる曾祖母のように、あの日のことは話したくも思い出したくもないという方も多かったと思います。それは当然の気持ちですし、尊重されるべきものです。
語られないまま亡くなっていった方の中には、語らなかったからこそ日常を保てた人もいたでしょう。でも、社会としては、やはり失われた声の重みがあったはずで──「もったいない」という言い方が正しいかどうか分からないけれど、今もどこかにその思いは引っかかっています。 あの日人生を狂わされたひとたち。映画『惑星ラブソング』は、そんな「一人ひとりの人生」に静かに寄り添う作品でした。
この作品では、過去の人物と対話する場面が、あえてフィルム映画のような質感で描かれています。かつて映写機が使われていた時代、フィルムを送る機械音が大きいため、映像と音声を同時に録ることが難しく、音はすべて後から加えられていました。そのため、唇の動きと音声をぴったり合わせるにはプロの俳優の技術が必要とされ、独特のズレが生まれることもありました。そして、後から録音された音声は、近い位置に置かれたマイクで録音するため、耳元で喋られているような音声になります。この映画では、そんな“音と映像が分離していた時代”の空気感を再現することで、時間の隔たりや意識の曖昧さが演出されています。
私は戦争映画があまり得意ではありませんし、映画館のような大音量の空間も苦手です。でも、この作品は安心して観られました。むしろ静かで、どこか優しい時間が流れているような感覚でした。
若者たちの等身大の揺れ動く心情と、宇宙人やタイムトラベルを含んだB級SFの要素が同居する不思議な構成でありながら、それぞれの要素が“重すぎず軽すぎず”描かれているのが印象的でした。現代と15年前、さらに80年前という異なる時代が交差しながら物語が進行していきますが、感情の描写はライトで親しみやすく、SF的な場面はユーモアを含んでいて疲れることなく観られました。そして、2つの惑星と3つの時代のストーリーが、終盤に向けて一つにまとまっていきます。余白を残した終わり方ではあるので、これを観た後、新世界の王になった気分で、世界からどうやって核兵器をなくせるか、考えてみるきっかけになる映画です。
この映画が描いているのは、特別な誰かの物語ではなく、“どこにでもいる誰か”の物語です。そして、何気ないところにある平和のかけらを拾った若者達が、世界中のかけらを集めるためのきっかけのような作品だからこそ、私達もみんなが平和のかけらを意識して生活し、その欠片を世界中で集めていけば、いずれ大きな世界平和に繋がると信じています。
映画「惑星ラブソング」は、全国の幾つかの映画館で公開中です!