文明は進み、文化は痩せる

苦労して作った作品を、一瞬でかっさらわれる。そんな経験が創作者のやる気を奪うことがある。これは決して珍しい話ではない。作品を作るには、長い時間と試行錯誤が必要だ。だがコピーするのは一瞬で済む。この非対称は、インターネットとAIの時代にますます拡大している。

もちろん、コピー技術そのものは悪ではない。レコード、CD、DVD、そしてYouTube。これらの技術のおかげで、かつては限られた場所でしか届かなかった作品が、世界中の人々に届けられるようになった。コピー技術は、文化を広げる強力なインフラでもある。文明は確実に進歩してきた。

問題は、その文明が創作者の意欲を削いでしまう構造になってしまうときだ。もし作品が簡単にまとめられ、別の誰かの商売の材料にされるだけなら、創作者は次第に「もう公開しなくてもいいのではないか」と考え始める。一本の動画に二十時間かけていた人が、「二分で作れるものしか作りたくない」と思うようになる。そうなれば、文化の供給は確実に痩せていく。

そこで必要なのは、単体の作品だけではなく、「創作物体系」という考え方だろう。
例えばYouTubeチャンネル、長年続く連載作品、あるいは作風そのもの。これらは一つ一つの作品の集合ではなく、時間をかけて形成された創作の体系である。レシピが二千本並んだチャンネルや、どのコマを見ても作者がわかる漫画家の作風は、単なる断片ではなく一つの文化的成果だ。

もちろん、似ているからといってすべてが侵害とは限らない。文化は模倣から育つ側面もある。漫画家の多くは、最初は他人の絵を模写するところから始める。独立に似た表現へ到達することもあるだろう。タラバガニとズワイガニのように、別々の道から似た形に収斂することもある。

だからこそ、判断は歴史を見ることによって行うべきだ。
作品の蓄積、作風の形成、創作の時系列。そこを辿れば、模倣なのか、独立した収斂なのかはある程度見えてくる。それでも判断がつかない場合は、残念ながら「疑わしきは罰せず」とするしかない。しかし少なくとも、体系的な創作物を丸ごと商売にするような行為については、社会として線引きを考える余地があるはずだ。

重要なのは、技術を敵にすることではない。むしろ逆だ。
AIやデジタルツールは、本来なら創作者を助けるはずのものだ。動画編集を楽にする。膨大な作品の中から次のアイデアを見つける。創作にかかる時間を減らし、本当に集中すべき部分に力を注げるようにする。文明の進歩は、創作者の味方であるべきだ。

もしそうならなければ、奇妙な未来が訪れる。
最高の文明を持ちながら、文化だけが痩せていく社会だ。どんな作品でも瞬時に作れるAIは存在するが、そもそも学習する文化がもう生まれてこない。そんな世界は、確かに効率的かもしれない。しかし、人が暮らす社会としては驚くほど退屈だろう。

文明はすでに十分に進んだ。
これから問われるのは、文化をどう守るかである。

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